青と白の町並みが美しいチュニジアを代表する観光地でありますが、この観光地があるカルダゴはかつて、地中海沿岸で繁栄を極めた地でもあります。
カルダゴが一番最初に栄えたのは紀元前9世紀頃。
一人のフェニキア人の女性がこの地に訪れ、ベルベル人と牛一頭の皮と同じ大きさの敷地をもらったことから(諸説あり)長い歴史が始まりました。
ビュルサの丘
始まりの地がここビュルサの丘。
その歴史の通り“皮”の意味を持つ丘で、ここを中心に都市国家カルタゴが繁栄しました。
写真にある遺跡がカルダゴのもの!と思いきや実は違います。
これらは紀元後にローマ帝国によって築かれたものです。
カルダゴという地はとても興味深い歴史を歩んできました。
冒頭で紹介したとおり、最初は都市国家カルタゴが地中海の覇権を握り繁栄したものの、ローマ帝国との幾度の戦争の結果ついに滅んでしまいました。
壊滅状態になり、そして繁栄の印を後世に残さないために、資料や建物などには火をつけたそうです。
一度は何もなくなった地でありますがその後、この地中海を見渡せるという好立条件にローマ帝国が目をつけ、都市国家カルタゴの跡地の上にローマ帝国の都市国家が築かれました。
そのため、目に見える大部分はローマ帝国の都市国家の遺跡、その下を掘ると都市国家カルダゴの遺跡が出てくるという、二層の遺跡となりました。
そしてさらに興味深いのは、ローマ帝国が滅んだ後、残った大理石はチュニジア全土に持っていかれ(一部は盗まれ)、モスクなどの建設に使用されたということです。
そのため、現在は土台の一部や壊れた柱などのみが残っている状態であり、迫力のある箇所は正直なところ少なかったです。
ですが、ガイドさんが教えてくれた歴史がとにかく面白く、これまで僕が訪れた遺跡の中でもトップクラスで楽しむことができました。
古代ローマ人のヴィラ
ガイドさんと一緒に次に来たのが、古代ローマ人のヴィラ。
日本語でヴィラというと別荘のイメージがありますが、こちらは当時の富裕層の住宅エリアだった場所です。
ここが玄関、ここが中庭と説明をしてくれたのですが、家とは思えないくらいとても大きい。
玄関だけで、一般的な家のリビングくらいの大きさがありました。
また、チュニジアらしい貴重なモザイク画がそこら中にあります。
床一面が鳥のみのモザイク画など、施された絵から家主の好みがわかります。
より貴重なものは首都チュニスのバルドー博物館に展示されていますので、そちらも併せて訪問するのをおすすめします。
トフェの墓地
続いてトフェの墓地と言う、子どもの生贄のお墓に来ました。
こちらは都市国家カルタゴ時代のものであり、地面にあるひとつひとつの石が発掘されたお墓です。
生贄は神々に対する感謝や恵みを求める儀式として行われ、特に豊穣や雨乞い、戦争での勝利などの重要な出来事に際して行われたそうです。
生まれたばかり男の子が特に生贄に選ばれ、火葬されることで神聖な存在として神々のもとへ送り届けられたと考えられています。
アントニヌス浴場
最後に訪れたのはローマ帝国の都市国家時代の公共浴場。
世界史でお馴染み五賢帝のひとりアントニヌス=ピウスによって建設されたものです。
ガイドさんは「日本人には説明しやすい場所。古のスーパー銭湯!」だよとおっしゃっていました。
確かにとてもわかりやすい。
脱衣所があり、温泉や水風呂があり、サウナもある。
さらにローマ版スーパー銭湯には図書館やプールもあったそうです。
日本版スーパー銭湯と違うのはその大きさ。
総面積35,000㎡、長さが200m、柱の高さは8mと超巨大な浴場は、ローマ帝国内で3番目に大きいものです。
現在残っているのは、奴隷がお湯を沸かしたり洗濯を行っていた地下空間の土台だけですが、このスペースだけでも道幅が広く、天井も高く、とても広々としていました。
きっと奴隷も他の場所よりも働きやすい環境だったのではないかと感じました。
カルダゴ遺跡を訪れる際には、個人で行くのではなく、ぜひツアーにてガイドと一緒に行くことをおすすめします。
各所の説明版が充実しているとは言えず、もしひとりで訪問していたら、こんなにも面白いカルダゴを知ることはできませんでした。
各見どころが徒歩での移動はやや難しいほど離れているため、ツアーに参加することで移動の負担が減ります。
安全面でもガイドがサポートしてくれるので、より安心してカルダゴの探索を楽しむことができます。
Writer
Mamo
世界中の動物に会いに行く旅人。海外52ヶ国、国内47都道府県訪問。幼い頃に「サバンナでアフリカゾウを見たい」という夢を持ち、大学生の時タンザニアにて初サファリに参加。そこから動物を観察する旅に熱中し、これまで100を超える国立公園、動物園、動物関連施設にて動物観察を行う。世界一周経験者。